見附駅 普通列車に本線を譲って追い越し 新潟色初期ヒゲなし塗替え前最後の活躍

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  • Опубликовано: 21 ноя 2024

Комментарии • 4

  • @ABC1919aa
    @ABC1919aa 5 лет назад +2

    この頃はまだ見附駅の2番線が使われていたんですね

    • @nishizono520xi
      @nishizono520xi  5 лет назад

      そうです。…待避線を撤去されてしまった駅、多いですね。
      この頃は見附のほか、亀田・矢代田・三条でも普通列車が特急・急行の
      通過待ちをしていたのですが(亀田・矢代田は折返し列車もあり)。

  • @Style-ii9xq
    @Style-ii9xq 5 лет назад

    新潟の115系と言えば現在は3両編成で運用していますが、特に私が覚えているのは初代新潟色の2両編成115系が強烈な印象がありましたね。

    • @nishizono520xi
      @nishizono520xi  5 лет назад

      実は115系の1次新潟色が登場する前、新潟配置のクモハ115・114-504を
      使って試験塗装をやってるんですよね。
      写真撮らないうちに本採用塗装に塗り替えられちゃって、手元に出せる
      資料がないから触れてないのだけど…。
      昭和61年7月下旬登場。夏休み期間中だったこともあり、実際に
      初めて見たのは8月下旬だったのですが。その後10月中旬にその試験塗装
      とは違う、クハ115-552ほか4連が登場し(私のチャンネルのトップに
      使っている写真)、また同時期に改造が進められていた長岡配置の
      1000番台(1500番台)2連も、何本かこの塗装で出ています。
      で、これが決定版になるかと思いきや、62年1月に検査出場した長岡配置
      クモハ115-1049ほか3連が、ライトまわりにヒゲを追加した塗装で登場。
      (白の面積が多かったので、雪の時などもう少し目立つように)
      この修正が1次新潟色の決定版となりました。
      ※504の試験塗装は検査同時施行ではなく、62年2月の定期検査で
      ヒゲ付きの修正版に塗り替えられ、試験塗装は消滅。ちゃんと写真
      撮っておけばよかった…。
      ※その後、昭和63年10月に弥彦線でワンマン運転が開始されることになり
      またまた504が改造・塗装変更の対象に。(必要3編成のうち501・503は
      検査入場と同時施工だったけど、504はまた検査と無関係で改造・塗替え。
      その後の2次弥彦色を含めると、いちばん塗替え回数の多かった編成の
      はずです。)